ミッドウェー海戦

 艦これでは8月からミッドウェー海戦が実装されると話題ですね。僕もイベントに向けてささやかながら資材を準備しています。前回のイベントは最初のマップの攻略にとどまっていたので、実質的には初のイベント参加になります。今から緊張しています。

  資材のことはおいておくとしまして、20世紀最大の艦隊決戦と呼ばれ(また、日本史上最低の失敗とも言われる)ミッドウェー海戦は、史実的にはどんなものだったのか、すこし覗いてみたいと思います。ちょうどいいビデオもあったので、これを中心に簡潔にまとめます。

 「何が原因で負けたのか?」という『失敗の本質』的議論はいつか機会があれば。(その議論に加われるほど頭脳明晰であれば良かったんですが…)

 

 

作戦準備


日本軍令部の作戦

 海軍の当初予定していた攻略海域はニューギニアのポートモレスビー基地でした。1941年に真珠湾奇襲に成功し、その後、連戦連勝を重ねていた日本連合艦隊ではありましたが、1942当時この基地にまだ手を付けていませんでした。ここにはオーストラリアの軍事基地があり、アメリカ軍の反抗拠点になることが予想されていました。

 第二弾作戦として考えられていたのが、アメリカとオーストラリアを結ぶ補給路の遮断です。

 軍令部はこれまで通りの先制攻撃で相手が立て直す前に、オーストラリアの攻略を提案していましたが、兵力や物資の補給を懸念する陸軍の反対によりこの作戦を断念。

 

 ここで、ポートモレスビーの攻略とアメリカ-オーストラリア間の補給路を遮断する作戦を現実的な作戦案とします。

山本五十六長官の作戦計画

 ところが、連合艦隊は全く別の作戦案を提出します。太平洋のど真ん中にあるミッドウェー諸島の攻略です。この島は米軍連合艦隊の前線基地、潜水艦の補給基地としての役割をもっていました。ミッドウェー守備隊は3000人の兵士と110機の航空機を有していたと言われています。

 

 山本長官が積極的な攻勢を好んでいたというのは有名な話ですが、この作戦もその信念に則ったものだと言われています。まず、空母機動艦隊でミッドウェー島に奇襲をかけ、そのあとハワイから出撃した米軍艦隊を迎撃し、撃滅するという作戦でした。

 

 陸軍はこの作戦に反対し、軍令部は首を傾げましたが、長野軍令部長官は「山本長官がそこまで言うのなら」とこの作戦案を呑みました。この後の作戦はポートモレスビー→ミッドウェー→ニューカレドア方面という攻略順で決定します。

 

 こうして、海軍、陸軍、軍令部の意見が食い違ったまま大規模な攻撃作戦が始まることになります。

アメリカ

 

 一方アメリカはこの時期、空母から発艦した爆撃機による日本本土空襲を実行します。ハルゼー中将率いる空母ホーネットのドーリットル隊によるもので、首都圏を中心に、新潟、長野、神戸、和歌山、名古屋などが被害を受けました。被害の規模よりも本土空襲のショックは大きく、日本の作戦に大きな影響を与えます。最終的には、ミッドウェー攻略に関して陸軍が協力を申し出るまでに至りました。

MO作戦


 連合艦隊はミッドウェーの前にまずは海軍はポートモレスビー攻略にかかります。

 5/2、日本軍はラバウルから空母「翔鳳」、トラック基地から第五航空戦隊「瑞鶴」「翔鶴」を発進。

 

 米軍はこの作戦を事前に察知しており、5/1に空母「ヨークタウン」と「レキシントン」を珊瑚海に侵入させます。

珊瑚礁海戦

 

 5/7に翔鳳が轟沈、次いで5/8に、世界戦史上初めての空母同士の戦い、「珊瑚海海戦」が勃発します。これは艦載機による戦闘になりました。

 

 

 日本の主力は左から、零式艦上戦闘機、九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機です。

 対するアメリカの航空機は、F4Fワイルドキャット艦上戦闘機、TBDデバステイター艦上攻撃機、SBDドーントレス艦上爆撃機です。

 

 日米両軍はほぼ同時に攻撃隊を発進、攻撃します。この戦闘で日本側は空母翔鶴の飛行甲板が使用不能に、アメリカは空母レキシントンは損傷甚大により雷撃処分となりました。また、空母ヨークタウンが大火災となります。しかし、これほど大きな損傷を負いながらも直ちにヨークタウンは修復されました。日本側は瑞鶴が健在だったものの追撃は行わず、ポートモレスビー攻略も延期となりました。翔鶴とヨークタウン、どちらも大きな損傷だったものの、日米の修理能力の差から、翔鶴はミッドウェーに間に合いませんでした。

米軍の情報戦争


暗号解読

 アメリカは戦局を挽回するために、必死で暗号を解読し、日本軍の進行ルートを探ります。アメリカ太平洋艦隊司令部のハワイには暗号解読の専門チームが設けられます。

 

 また、これに加えて日本軍のこれまでの作戦傾向を割り出し、日本軍の作戦をかなり細かいところまで正確に予想していたとされています。

零式艦上戦闘機の徹底解剖

 太平洋戦争が始まって以来、米軍にとって日本の零式艦上戦闘機の性能は脅威でした。積極的に零戦を鹵獲し、徹底的に分析することで対策を次々に打ち出しました。

対空レーダーとCIC

 また、敵機体の早期発見と情報管制の為の技術も投入されます。

ミッドウェー作戦


連合艦隊の作戦計画

 いよいよ連合艦隊による、真珠湾攻撃以来の一大作戦が始まります。ミッドウェー作戦です。日本軍の立案した作戦は次のようになっていました。

 

①第二機動艦隊によるアリューシャン列島ダッチハーバー空襲。

②これによりハワイ基地から発進した米軍艦隊を北へと誘い出す。

③南雲中将率いる第一艦隊によるミッドウェー島の空襲。

④転進した米軍艦隊を第一、第二艦隊により挟撃する。

米艦隊の先読み

 5/29日、まず空母ホーネットとエンタープライズがハワイを出撃、2日後には修理をほぼ終えたヨークタウンも出撃。米艦隊は日本の潜水艦が包囲を敷く前に発進しました。

 この事を知る由もない日本側は、予定通り作戦を実行します。最終打ち合わせの段階になって、山本長官は南雲中将にミッドウェー作戦本来の目的が、誘い出した敵艦隊の撃滅にあることを告げました。そしてミッドウェー島攻撃隊以外の航空機に魚雷を装備させるように命令したと言われています。ミッドウェー島の占領なのか、敵艦隊への攻撃なのか、作戦目的が曖昧でした。

連合艦隊出撃

 5/27、南雲機動部隊は呉を出撃。直率の第一航空戦隊「赤城」「加賀」、山口多聞少将率いる第二航空戦隊「蒼龍」「飛龍」、それに戦艦、巡洋艦を含めた25隻でした。

 

 5/29、旗艦戦艦大和を含む36隻が呉を出撃。山本長官自らが南雲中将の後方援護につきます。

 この作戦の為に出撃した艦船は200隻にも及ぶとされました。

ダッチハーバー空襲

 6/4日、第二機動部隊がアリューシャン列島のダッチハーバーを空襲。日本側の作戦行動ではアメリカ艦隊が北方に戦力を傾けると予想していました。しかし、アメリカ艦隊は既にミッドウェー近海にまで出撃し、待ち伏せしていました。

第一次攻撃

 6/5日、予定通りミッドウェー攻撃に向けて第一次攻撃機を発艦。対する米軍は対空レーダーでこれを探知。すかさず、ミッドウェー島の攻撃機全てを発艦させます。目標は日本の機動部隊でした。

 日本軍の攻撃に備えてミッドウェー島の上空で待ち受けた米戦闘機でしたが、零戦はことごとくこれを撃破。

 第一攻撃隊の目標は地上の基地でした。しかし、敵航空機の姿はありません。ミッドウェー防衛隊は対空機銃で応戦します。

 このとき日本軍はアメリカ機動部隊への攻撃の為に艦載機を半分残していました。南雲長官はアメリカ機動部隊を発見する為に索敵機を飛ばしていましたがなかなか発見できません。アメリカ機動部隊の待ち伏せを全く予想していなかった日本艦隊は、「一旦北へ向かったアメリカ艦隊がミッドウェー攻撃を知り、あわてて転進してきているもの」と信じて疑いませんでした。南雲司令長官のもとにはアメリカ機動艦隊の発見の報告はありません。

 

 基地攻撃の成果が不十分と判断した航空隊の友永大尉は、機動部隊に対し第二次攻撃の必要を打電します。

日本軍の兵装転換

 南雲司令長官と幕僚たちは、付近に敵空母はいないと判断。それまで敵空母攻撃のために装備していた雷撃装備を基地攻撃のための爆撃装備に換装する準備をします。艦上では換装が本格化していましたが、爆撃を受けているため思うように進みません。

 

 

 このとき、米艦隊は索敵により南雲機動部隊の位置を確認。空母三艦から戦闘機隊、急降下爆撃隊、雷撃隊を逐次発進させました。

 

 第一次攻撃隊が赤城に帰還した頃、南雲機動艦隊は米軍機の爆撃を受けていました。この頃敵空母発見の報が入り、予期せぬ米艦隊発見報告に艦隊は大混乱となります。上空で待機せざるを得なかった友永隊は味方の誤射を受けたとも言われています。

 

 飛龍の山口多聞少将は直ちに攻撃機を発進させることが可能だと進言します。ただしこれは直掩の零戦も無く、装備も爆装のままで急発進させるという非常に危険なものでした。南雲中将はこの進言を却下します。雷撃部隊を零戦の護衛なしで“裸で”戦場に送り出しても敵戦闘機の餌食になることは先の戦闘で米軍が証明しています。さらに、いまだ上空を旋回している第一攻撃隊の回収を行う必要もあったからです。即座に出撃させる事を主張した山口少将、正攻法を選択した南雲司令長官。しかし、この間にも時間は過ぎていきます。

 

 米軍の航空機隊も決死の覚悟で挑んでいました。ミッドウェー基地航空隊はほぼ全滅、空母ホーネット雷撃隊のデバステイターも戦闘機の護衛のないまま赤城を攻撃し、全機が撃墜され1人を残し全員が戦死しました。空母エンタープライズ雷撃隊、空母ヨークタウン雷撃隊も全滅します。

運命の6分間

 そして、ミッドウェー海戦のみならず太平洋戦争の趨勢を決めたと言われている6分間の攻撃戦闘がおこなわれます。日本側は先ほどの戦闘で直掩の零戦が消費した燃料弾薬を補給するための着艦シーケンスの最中であり、米軍の急降下爆撃機に気づけませんでした。

 また、艦隊は魚雷から爆弾への換装中だったことも災いし、格納庫に出されていたこれらに次々と引火してゆきました。

 上空でエンタープライズ艦爆隊、ヨークタウン艦爆隊が合流、空母「加賀」を狙います。爆弾は3発命中。換装中の爆弾と燃料庫への引火・爆発により大爆発を起こして後に轟沈します。

 空母「蒼龍」にも爆弾が命中、艦載機を巻き込んで大爆発を起こします。

 旗艦「赤城」にも敵機は襲いかかり、被弾。機関部へのダメージは無かったものの、やはり換装中の爆弾が誘爆し大火災が発生します。南雲中将以下乗組員が退避したあと、雷撃処分されています。

 わずか6分間のあいだに連合艦隊の3空母は壊滅的な打撃を受けるることになりました。

最後の空母「飛龍」

 かくて、南雲機動艦隊に残った空母は山口少将率いる空母「飛龍」一隻となりました。彼は自ら残った航空隊を指揮し、反撃に出ます。

 飛龍攻撃隊は空母ヨークタウンを発見、これに襲いかかりました。第一次攻撃隊の命中魚雷はすかさず修理されたものの、第二次攻撃にてヨークタウンを航行不能に陥らせる事に成功します。二日後、伊号168潜水艦がこれを撃沈することになります。

 結局、飛龍にも敵爆撃機の爆弾が命中し、炎上。山口少将は総員退艦を命じた後に艦と運命を共にしました。

ミッドウェー攻略中止


 この海戦の間、山本長官の乗る戦艦大和は南雲機動部隊の後方およそ550km、戦場まで2日もかかる距離にありました。無線封鎖が行われていたので、作戦全般を指導する役割も果たす事ができませんでした。

 艦隊決戦を求め、山本長官が強引にすすめたミッドウェー作戦は空母4隻と艦載機を失うという結果に終わりました。